@Nemuj 平安時代には貴族のみの信仰だった仏教を江戸時代に力をそいで大衆化させるために寺子屋制度なんかを作ってより身近で俗世的な立場にしたりして宗教観を減らした結果でちからねえ
@sanboudeti 暇を持て余した貴族の教えである仏教の概念が戦士の精神統一の修行に利用されるのは文化的背景の大きく異なる我々からすると一見して不可解なことだと『菊と刀』……じゃなかった古事記にも書かれているでちね
@Nemuj 応仁の乱あたりには山賊と大差なかった集団が江戸時代には知識人階級でちからかなり特殊な変遷でち
@sanboudeti 元々の宗教における位置づけに馴染みのある人もいないから楽しそうなところだけつまみぐいしてる感じでちな。特に一神教は土着の風習が違いすぎて定着しなかった。一族郎党や身近な共同体への奉仕が自然に内面化されているが「国家」や「社会」というより大きな規模の概念への理解も馴染みもない。「社会」とかは明治期に入った外来語でちしね